2009年12月31日木曜日

[AIDE-MEMOIRE] 2009総括

先週から少し風邪で寝込んでいます。
一回治りかけたのですが、無理してお酒を飲んで悪化させてしまい寝込んでました。
ここ二日でだいぶ回復しましたが。
忘年会も行けず。。

そして、熱を押して北海道の旭川に来ています。

2009年
何をしたかを思いつくままに書いてみます。

・就活をして、働く会社が決まる。
・就活中にスイス、スペインに10日間調査旅行。
・調査報告書をまとめる。
・コンペをして、学会で発表する。
・コンペは、今年は少なくて2本。
・ホテルのバンケットルームのインテリアを手がける。
・インテリアデザインについて少し勉強。清水について関心を持つ。
・岐阜県恵那市景観計画策定に関わる。恵那市に計6回行った。農村風景の美しさは庭園の美しさと似ていると感じた。それらは、二つとも「手入れ」された人の手が感じられる風景。
・技術士補(建設部門)に合格。
・TOEIC 825。
・読書25冊(研究関連以外、ほとんどがi文庫)
・映画43本(DVD35、映画館8)
・旅行(一泊以上):チューリッヒ、バーゼル、バルセロナ、ビルバオ、バニョーレス、四万十川、宮島の花火、犬島、名古屋、北海道(旭川、岩見沢、札幌)

などなど。
何か忘れている気もするけれど、手帳を見返すのも面倒なので。

今年も多くの人に出会いました。
来年も縁を大事にしていきたいと思っています。

長い間、好き勝手学生をやってきましたが、それもあと三ヶ月。
学生の間、やり残したことはないとは言えません。

可能性よりも実績が求められる年齢になってきました。
「可能性」という言葉に踊らされないように、来年は実績にこだわっていきたいと思います。
今年もいろいろとありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

2009年12月15日火曜日

[PURSUIT FOR NATURE] 修士論文

 最近、研究に関してようやく頭の中の発散していた思考が一つにまとまりつつある。自分が今まで何を見てきて何を明らかにしたいのか。そのためにはどのようなロジックを組み立て、どのように見せればよいのか。

 明らかに予想される作業量に対して時間が足りない。あと一ヶ月と少し。好き勝手、好きな事ばかりやりながら学生をしてきたが、その集大成として、自分に恥ずかしくないものをまとめたい。残された時間は少ししかない。

 日本人は、どのように自然を捉え、自然と関わってきたのか。どのような空間を求め、どのように造形活動を行ってきたのか。その一端を見たい。

2009年11月28日土曜日

[AIDE-MEMOIRE] Dubai Shock ドバイ・ショック

 昨日、一ドル=84円台と数十年ぶりの円高になった。ワインや宝石、海外旅行チケットなど輸入関連品が安くなったと言って、喜んでいる場合ではない。
 ドルとユーロの信用が下がったために、円の信用が相対的に上がった(ように見える)結果、円高になっているのが現状である。

 ドバイの政府系金融機関ドバイ・ワールドが約5兆円以上の借金を、「今返せないから、ちょっと待ってくれ。」という、モラトリアムを要請したのである。投機的なリスクが高まり、ドバイにかなりのお金をつっこんでいた欧州系金融機関やアメリカ系金融機関の株価は軒並み下がった。日本でも、ドバイに手を出していた大林組や大成建設がかなりのリスクを抱えたことになる。

 持続可能な発展という言葉を聞くようになって久しいけれども、ドバイはその言葉に耳を貸さずに急成長を続けてきた。世界中の余剰資金がつぎ込まれた結果、リーマンショック以後も不動産バブルが続いていた。

 急成長を続けている社会においては、アグレッシブなデザインが求められる。日本の高度成長期にポストモダンがもてはやされたように、ドバイに立つ建築もプロが思考を積み重ねた結果生み出された造形とは思えないデザインがたまに見受けられるように思える。確かに、インテリアはラグジュアリーでハイセンスな空間になっているかもしれないけれども。都市は人間の欲望の所産だというのが持論だけれども、ここまで突っ走った都市は珍しい。

 現代の金融リスクにはタイムラグがある。クレジットカードのようなものだ。ものを買ってから銀行から引き落とされるまでの間、「信用」がお金の代わりとなっている。しかし、残高がなければ売った店にお金が入らない。そのお金が回収できなければ、そのお店はただでその商品を売ったことになってしまう。
 時限爆弾のようなものである。リーマンショックの時も、いろんな経済コンサルタントはここまでの結果を予想できなかった。今も、ゴールドマンサックスをはじめいろんなコンサルタントが予想を発表しているけれども、どうも信用できないのは、僕が穿った見方をしているからだろうか。

 

2009年11月26日木曜日

[BOOK REVIEW] 見る庭と触れる庭_藤井英二郎

 『見る庭と触れる庭 日本人の緑地観』 藤井英二郎 1995

 造園で有名な千葉大の教授である藤井先生の著書。

 面白かったのは、後半の実験による考察部分。植物の色や樹形、木々の配置感覚などは人間にどのように認識されているのかを、眼球運動とアイマークレコーダーによる実験から明らかにしている。個人的に気になったり、研究に使えそうな知見がいくつかあった。
刈込が整形的にされている植栽は、注視点が少なく、自然樹形の植栽は、注視点が多い。
透かしが効いている杉や松などは幹の垂直性が際立つ。
など。

 日本人の緑地観という題なのに、西洋人との実験や比較がないのが残念だった。そのため、実験結果がユニバーサルなものなのか日本人固有のものなのかは明らかにされていない。

 以前、テレビでみたある番組を思い出した。日本人はものを見るときに主として主景と背景などの関係を読み解こうとする眼球運動をするのに対し、西洋人は主景となっている要素の特徴を見出そうとするそうである。
 これは、かなり大きな特徴だけれども、自然に対する感性は、その民族が暮らしてきた風土によってはぐくまれてきた気質に大きく影響する。そうなると、植栽の刈込の仕方や自然樹形に対する印象も民族によって異なるかもしれない。

【目次】
1.日本庭園に見る農の文化
 1.透かし植栽
 2.庭園に見る農の風景
 3.海の景に対する里の景
 4.ヤマの変容
2.庭園と建築
 1.自然の捉え方
 2.庭と窓辺の表情
 3.日本と韓国の農家住宅にみる連続性と相違点
 4.人と自然の接点
 5.韓国の宮闙にみる庭園の特徴
3.庭園の構成を解く
 1.植物の安らぎ
 2.植物の色としての緑
 3.花の色
 4.花見の高揚感
 5.樹形のイメージ
 6.刈り込みの意味
 7.配置の妙
 8.距離を作る
 9.視線の向きが持つ意味
4.庭園にみる心
 1.茶庭の心を読む
 2.庭園に見る人物像
 3.夢窓疎石の庭園観
5.庭園にみる社会
 1.庭に秘められた意味
 2.内と外の境
6.庭園を見直す
 1.農の技術のリバイバル
 2.環境の体感とうちなる自然
 3.心身と環境の対話


2009年11月23日月曜日

[BOOK REVIEW] 『日本の庭園』 森蘊

 このところ、庭園の研究をしていながら、基礎的な知識が欠落していたことに今更ながらに気づいた。
知識を補完・拡充し、新たな視点と知見を得るために、日本庭園に関する本を読み漁っている。研究ネタなので、詳細は書かないけれども、備忘録的に。

 その中でも、『日本の庭園』森蘊(1964)は名著である。

 本は二部構成になっており、前半は事例紹介。後半は、研究的視点から庭園の様式・意匠・技法・キーパーソン・庭づくりの書などをコンパクトにまとめている。筆者が建築出身なこともあり、視点がやや建築よりな印象を受けるが、一貫してデザイナー的視点で書いているので読み進めやすい。

【目次】
はじめの言葉
日本庭園の特色
日本庭園發達略史
現代の庭園とこれからの庭園
風景式庭園はどのようにして造られるか
庭園の作者日本庭園の風景的美観
日本庭園における時間的變化
露地の意匠と實用
結びの言葉
庭園実測図
あとがき


「庭園の意匠は面積によって違うが、それは石組の技法と同様に、主景と、副景と、客景とから成り立つことが多い。奥行きが深くなると、見越しといって遠景が欲しくなる。逆に幅が広くて奥行きが浅い時は主景が片隅にきて、その場合控えの景色が欲しくなるものである。」(本文抜粋)

上記のような書き方からも、庭園という風景の中で、構成論的に庭園全体を捉えていることが伺える。

日本論としてはウェットだが、研究に非常に役に立ちそうな箇所が多くあった。

2009年11月22日日曜日

[AIDE-MEMOIRE] Christo & Jeanne Claude



 
 これは、1997年にBaselの郊外にあるバイエラー美術館の近くで行われたCristo & Jeanne-Claudeによるアートインスタレーション。このアートは、もちろん木の生長を阻害しないような素材が使われ、時期も冬に行われた。
 日常では境界が曖昧に知覚される樹冠のボリュームが半透明の膜で包み込まれている。これにより、木の存在がインパクトを持って知覚される。また、膜と枝の隙間の空間が透けて見えて面白い。

 建築でも、覆ったり包んだりするというコンセプトのデザインは、歴史が長いように思う。先日、京都造形であった隈研吾の特別講義でも、隈さんがバックミンスター・フラーと絡めながら包むデザインに言及していた。数年前、大阪の中央公会堂であったドミニク・ぺローの特別講義のタイトルは、「would you like to wrap it?」だった。

 Cristo & Jaeane-Claudeの作品と彼らの志向性の関連を実証することはできない。しかし、クロノロジカルにこのような表現が異なる分野で出てきたのは興味深い。ものごとの因果関係が捉えにくくなった現代社会では、世界を秩序を持って上手く再構成することが難しくなった。それなら、いっそのこと「まるごと包んでしまえ」ということなのか。現象学では、これに似た行為をエポケー(カッコに入れる)というけれども、そのような行為にも似ている気がする。

 木々、ドイツの議事堂、海岸など様々なものを包んだり、大きい傘を立てまくったりした彼らは、そのスケールの大きさからかランドアートという呼び方で彼らのアートがカテゴライズされることが多い。しかし、彼ら自身はそのようなカテゴライズは嫌っていたらしい。リチャード・ロングのように自然のものを自然の中で再構成するのではなく、人為的な部分が主張しているところがランドアートとは少し異なるという気もする。

 このような大規模アートにかかる費用は、自らのドローイングやポストカードなどの売却益によって賄っていたらしい。
 一回、ドローイングを生で見たことがある。包まれた木々が、青の鉛筆のみで描かれていた。そのときは、彼らがドローイングという表現手法を使い、自分たちの作品を再生産している事実に驚いた記憶がある。しかし、それは再生産ではなく、次の表現をするために描かれたものだとは知らなかった。

 先日、Jeanne-Claudeの訃報を知った。

 DVDと画像を見たことがあるだけで、彼らの作品を直接体験したことはない。
現在進行中のプロジェクトは、最後までやりきるそうだが、それがラストチャンスかもしれない。来年の春は、アメリカに行こうか。

2009年7月17日金曜日

[PROJECT 001] デザイナーの人間力

 最近、ホテルのインテリアデザインの仕事をしている。今までインテリアを本格的に勉強してこなかったので、いい機会である。

 クライアントとの打ち合わせに望む際のスタンス、プレゼンの仕方など考えさせられることが多々ある。わかりきったことではあるが、言葉やリファレンスだけでイメージを共有するのは難しい。具体的に、かつ抽象的に話さなければならない。コンセプトと形を結びつけロジックが重要である。また、インテリアに関してデザインボキャブラリーが少ないので蓄積していかなければ成らない。やることは、山積みである。

 知識と経験を持つクライアントなのでこちらも勉強させてもらいながら進めている。

 打ち合わせの度に頭に浮かぶ文がある。
「デザイナーは、表現者であるのはデザイナー自身の人間力が試される。」
以前アルバイトとして働きながら勉強させてもらっていた日本の建築事務所の建築家は、こういっていた。
「仕事をとってくるのは、自分自身の面白さや!」
その言葉の意味をようやく今理解できたと思う。
 当たり前だけど、クライアントもお金を払う以上この人に任せたいと思わなければ任せないだろう。そして、そのプロジェクトに対して夢を抱いている。どのように、自分のデザインを貫くか。自分のデザインを貫く一番わかりやすい例は、その人のキャリアがものを言う。キャリアがない自分がどうしたらクライアントを説得できるかが今回の仕事の鍵だと思う。人間力が鍵だとしても、出てくるデザインが魅力的でなければ意味がない。デザイナーは、デザインでみせるしかない。しかし、一介のデザイナーになるには、思想がしっかりしていないといけない。わかりきったことで今更という感はあるが、そういう意味でも、いろんなものを見て、いろんな人と話をすることは大事だと再確認した。

 

2009年6月4日木曜日

[AIDE-MEMOIRE] 公共空間設計におけるデザイナーの射程

 最近、まちづくりに関するコンペに取り組んでいる。というか、公共政策に関するコンペだ。個人のスタンスとしては、まちづくりをデザインと混同する考えは理解できない。まちづくり研究にも懐疑的である。そもそも、コミュニティ形成まで行政が積極的に立ち入って舞台を整えてあげる必要性もあまり感じない。コミュニティ形成を受け入れる事が出来る都市や街をつくるという視点は行政にも必要かもしれないが、ソフトのシステムまで立ち入ることには、個人的にはあまり気が進むことではない。コミュニティ形成をアフォードするシステムを作る必要はあるかもしれない。しかし、最終的には当事者に委ねられることだと思う。誰かに決められた枠組みの中で交流するというのは個人的には好きではない。その考えの根底には、あまのじゃく的思想があるのだが。その場所に対する愛着は、自分自身がその土地に積極的に働きかけたときに得られるものだと思う。行きつけのカフェやよく休む場所など、誰かに決められることではない。

 「まちづくり」という言葉の出自は不明である。「アーバンデザイン」や「都市工学」という分野が社会の一部としての役割を担うに至らなかった日本の土壌に起因していると個人的には考えている。オーセンティシティという言葉が使われ出して久しいが、「まちづくり」のオーセンティシティはどこにあるのだろうか。その場所の風土を読み解いて、その場所の延長線上に自然に馴染むプログラムや場所を形成する努力が必要だと思う。しかし、オーセンティシティを実現するには、お金がかかる。目先の利益を優先する商工会議所(そうでない団体ももちろんある)などが主体となってできることではない。まちづくり団体の自助努力や経営努力によって街の核ができたとしても、それらがうまくつながらないと、街全体の活性化にはつながりにくい。そういう意味で、まちづくりは、都市政策がしっかりしていないと上手くいかないように思う。日本のインフラのデザインにおいて求められるレベルが上がってきている。世界標準で見たときにそれがどのレベルというのは、今回は敢えて触れないけれども。
 
 だが、日本人が自分たちが住んでいるまわりの環境に興味を持ちだしたことは、とても重要な一歩であると思う。「まちづくり」という言葉がそのような背景で使われ出したのなら、歓迎すべき事だと思う。

 行政、研究者、実務者がそれぞれ自分の役割をしっかり認識して仕事に取り組む必要がある。それぞれがそれぞれにしか出来ないことがある。個人的には、まちづくりよりも、いい場所、美しい風景をたくさん日本につくっていきたいと思う。多様な人間が住む都市で、それぞれが自分だけのストーリーを語れるような容器としての都市。映画の背景のような都市というと誤解されるかもしれない。けど、映画の背景は、意外と普通である。色んな映画の背景を分析するのも面白いかもしれない。
 建築家がホームランを目指すなら、ただのヒットでよい。公共空間の設計においては、そのようなヒットを打つことさえ難しい状況だと思う。ホームランを打とうとすると、大振りすぎて空振りしてしまう。仕事によって、自分が目指すべきものをしっかりと理解していなければならない。デザインの射程をしっかりと認識しなくてはならない。といっても、まちづくりの提案を考えていると、ホームランを打ちたくて仕方がない自分に気付くときもある。

 まちづくりを語る人を見ると、今まで蓄積されてきた都市論が宙に浮いてしまっている印象を受けることが多い。まちづくりは、果たして都市論の中に位置づけることができるのか。都市論は、架空の「理想都市」を考えることで進歩してきた。しかし、「理想」という言葉は、都市には似合わない。都市は、欲望でうずまくドロドロした現実そのものだと思う。そういう観点から考えると、「まちづくり」は、都市論よりも進歩的かもしれない。

 とりあえず、備忘録的にふと考えたことを書き留めました。

2009年6月1日月曜日

[BOOK REVIEW] 大徳寺散歩_司馬遼太郎

 伊右衛門カフェで偶然見つけた本。研究の為になればと思って読み始めたが、本としても面白く楽しめた。

 一休宗純や沢庵などに焦点を当てながら、大徳寺の成り立ちと臨済禅の思想をわかりやすく語ってくれている。研究には、推論が多すぎてあまり使えないかもしれないけれども、思考のヒントがたくさんあった。

 一休は、「狂雲集」などで自ら語っている過激な内容などから、羅漢の悟りを開いた人物として認識されてしまうことが多い。しかし、この本を読んで、彼の本質はそこになかったような気がした。人間の本質は、表面的な言動で推し量れるものではない。そう考えると、ひととの交流関係からその人物を読み解いていく方が説得力がある。相対して感じるその人が持つ空気や仕草などの方が、その人の本質を表しているのかもしれない。歴史上の人物は、その人が行った行動の一部分が伝えられているだけで、その人物像を推測するのには少し無理がある。司馬遼太郎は、そこらへんの推測と記述、表現が卓越していて、読んでいて面白い。

 この本を読んで、一休宗純に一種のシンパシーを感じた。自分のやりたいようにやるが、それが、結果的に社会の役に立つ。我が儘であると同時に、まわりのことをよく考えている。

 禅の思想の中に、二項対立の中に本質があるとする考えがある。もう少し詳しく言うと、二項対立の中に両義性を見出し、それが事象の本質であるとする考えである。禅の思想が一見取っつきにくいのはこのことに起因していると個人的には思う。
 この本の中に「億劫須臾」と言う言葉が紹介されていた。億劫とは「永遠」を指し、須臾とは「刹那」を指す。もとは、大燈国師の言葉らしい。この言葉が指すことは何か。想像が広がる。この言葉を知ってまず思い浮かんだのは、人の感情についてである。例えば、二人の人がいたとして、物理的に永遠に一緒にいたとしても、気持ちが通い合っていなければ一瞬も側にいることにはならない。逆に、物理的に一緒にいなくても、気持ちが通い合っていれば永遠に一緒にいるのと同じである。へそまがりなので、個人的には、あまりこのような考え方は、当たり前すぎて敢えて口に出すのも憚られるけれども。

 

2009年5月31日日曜日

[LANDSCAPE] 大正池 Taishou-ike

             大正池 24th/Sep./2004

 今まで旅行をしてきた中で、印象に強く残った風景の一つに、長野県の焼岳の麓にある大正池がある。上高地の冷涼な空気と水面から突き出ている立ち枯れの木々が幻想的な雰囲気を創り出している。この大正池は、焼岳の大爆発による膨大な土砂流により、急スピードで梓川がせき止められ誕生した。火山によりフリーズした時の記憶を、立ち枯れの木々から感じ取ることができる。

 始めて行ったのは、小学生の頃で家族旅行だった。その時に見たこの大正池の風景を再び見たくて、大学3回生の時に一人旅に出た。これは、その時に撮った写真。今見ると、構図も拙いし、なによりデータの解像度の低さが時代を感じさせる。
 
 名所となる風景のパターンの一つに「奇観」というものがある。奇妙な風景というよりは、その場所の特徴が際立っている風景。秋吉台の風景も石灰を多く含む土の特徴が風景となって現れている。この大正池も、焼岳の噴火と、湖だった場所はかつて森であったという記憶が一つの風景の中から感じ取ることが出来る。時がながれるに従って自然は変化していくという当たり前のことを認識させられる。昔の人は、このような風景の中に無常を感じていたのかもしれない。

 社会人になる前にもう一回、上高地に行きたい。

2009年5月29日金曜日

[MOVIE]12人の怒れる男(リメイク)_12 Angry man



 陪審員制度を題材にした物語。1957年にアメリカで公開された「12人の怒れる男」のロシア版リメイク。ヴェネチア国際映画祭金獅子賞やアカデミー外国語映画賞候補に選ばれる。原作の監督は、シドニー・ルメット。脚本は、レジナルド・ローズ。

 脚本が秀逸。12人の陪審員のバックグラウンドが徐々に現れると同時に、そのバックグラウンドが自分の判断(有罪か無罪か)にいかに影響を与えているかが明らかになっていく。人間は、他人を思いやることができるが、他人の気持ちを真に理解することはできない。相手を理解するのも自分の主観を通して行われる判断であることを再認識させられる。客観は主観を通して理解される。現象学的な視点が浮き彫りになる。自分が判断しなければならないというメッセージを発しつつも、最後に神の加護を案じさせるシーンがあるなど、このストーリーの根底には、人間への愛と性善説がある。

 最初の五分ほどの立ち上がりは、モノクロでそれ以外のほとんどのシーンは、一つの部屋で行われる。お金ばかり掛けた派手な映画に食傷気味の人にはおすすめ。

監督:ニキータ・ルメルコフ
公開:2007

2009年5月26日火曜日

[MUSIC] new world_blanc.

 どこかで聞いて、ようやくiTunesで見つけた曲。早速ヘビーローテに入ります。
メロディアスながら、低音がしっかり聞いていて良し。
アルバムもよい。

2009年4月14日火曜日

[INFO] Peter Zumthor Pritzker賞受賞!!



とうとうこの日がやってきました。

Valsで衝撃を受けてからもうしばらく経ちます。
その後、彼の建築は、ほぼ全て見て回りました。
彼の本も読みました。ZumthorWorksだけ高すぎて手が出ていませんが。。

建築に対するスタンス、その作品の詩的空間、表現の方法など敬愛して止まないPeter Zumthorがプリツカー賞を受賞しました。

審査員達のコメントを紹介します。(以後、訳の至らない点はご容赦願います。)
“All of Peter Zumthor’s buildings have a strong, timeless presence. He has a rare talent of combining clear and rigorous thought with a truly poetic dimension, resulting in works that never cease to inspire.”
「Peter Zumthorの作品には、時間を超越した強い存在感を感じる。彼は、清廉で厳格な建築に対する思考と純粋に詩的な空間を結びつける類い希なる才能を持っている。彼の作品からは、絶えずそれが感じられるのだ。」
別の審査員、
“Zumthor has a keen ability to create places that are much more than a single building. His architecture expresses respect for the primacy of the site, the legacy of a local culture and the invaluable lessons of architectural history.”
「Zumthorは、一つの建築という存在以上の場所を創造する非常に豊かな才能を持っている。彼の建築からは、場所、その場所が作り上げてきた文化が生み出してきた受け継ぐべきもの、先人達が築いた歴史への尊敬の念を感じる。」

ETHで、アルド・ロッシから脈々と受け継がれているコンテクストに対する考え方、都市へのまなざしや、建築をものづくりと捉えるスイスの建築が再評価されるいいきっかけになるかもしれません。
また、同時に表現重視のものづくりから離れる傾向にある日本の建築界の潮流にも良い影響を与えることを願っています。

話はそれますが、坂茂がプリツカー賞の審査員しているのは今回初めて知りました。

詳細は、以下のwebsiteから。
http://www.dezeen.com/2009/04/13/peter-zumthor-wins-pritzker-prize/#more-28222


写真は、バーゼル郊外Biel/BenkenにあるZumthor設計の集合住宅にいた猫。

<追記>
毎年出ている作品集Bookletが公開されました。
http://www.pritzkerprize.com/laureates/2009/photobooklet2009.pdf

2009年4月12日日曜日

[INFO] AIJ Prize 2009

  AIJ(Architectural Institute Japan) prize 2009 was announced the other day. This prize is a kind of the gateway of success as an architect in Japan. In 2009, Junya Ishigami(石上純也), Manabu Chiba(千葉学), and Shigeru Ban(坂茂)were laureates of AIJ prize 2009.
The works are following;


KAIT Craft Centre of Kanagawa Institute of Technology(神奈川工科大学KAIT工房)
in Kanagawa, Japan
by Junya Ishigami(石上純也)

You can see the other works designed by Junya Ishigami.
There are some images of works.
Table
Small garden in Naga-ya
House with Forest and sub-house


Fuji Harness(Training center of guide dogs)(日本盲導犬総合センター)in Shizuoka, Japan
by Manabu Chiba(千葉学)

Official site of Manabu Chiba



Nicolas G.Heyak Center in Aoyama, Tokyo(ニコラス・G・ハイエックセンター)
by Shigeru Ban(坂茂)

More info (Official site of Shigeru Ban Architects)

2009年4月11日土曜日

[INFO] Extension of Tate Modern_Herzog & de Meuron


 Herzog & de Meuronのテートモダンの拡張計画が進行中らしい。
初期は、かなり複雑なボリューム。一つの大きいマスに小さいボックスのマスがたくさん組み込まれているフラクタルなボリューム。今は、無駄なものがそぎ落とされ、HdeMらしい形態になっています。シグナルボックスをアグレッシブにしたような、De Young Museumのタワーを縦方向にも回転させたような形態。
 表層の表現がどうなるかも気になる。パースでは、シャウラガーに近い表現にも見える。

デザインの変遷がわかります。
初期デザイン
→http://www.dezeen.com/2007/04/01/tate-modern-2-by-herzog-de-meuron/
現時点デザイン
→http://www.dezeen.com/2009/04/07/tate-modern-extension-by-herzog-de-meuron/

 外観のパースしか出ていないが、地下のオイルタンクをどうリノベーションするのかも気になる。

[BOOK REVIEW] "small images"石上純也_建築家のしたたかさ



 今では、石上さんは「かわいいパラダイム」の筆頭のように感じる。石上さんの本に「small images」がある。この本は、かわいらしいドローイングの表現に目を奪われてしまう。しかし、個人的には、そのかわいらしいドローイングの奥に、「かわいい」とは似つかない建築に対する意志を感じた。新しい空間を創造しようという意志。このKAIT工房のように、土地から切り離されたような浮遊感を目指した建築表現は、今やそんなに新しいものではない。フラットな屋根に細い柱というボキャブラリーもこのような低層の日本現代建築にはありきたりなものである。しかし、その柱の細さをランダムに変化させることであり得ない細さの柱を実現し、屋根の構造もX,Y方向の力を処理できる構造になっている。この作品を初めて見たのは新建築だったと思う。私と同じように「やられた」と思った人は多かったのではないかと思う。構造に対して真摯な態度を持ってたからこのような表現が出てきたのだろう。「small images」の「かわいい」表現は、いわばクライアントに対する非常に巧みなプレゼン方法かもしれない。
 世に出回っている様々な商品と同じように、建築にもクライアントを惹きつける訴求力が必要である。それは、建築作品だけでなく建築家の人間力も重要である。しかし、それは建築表現の本質にはならないことが多い。石上さんは、自分は自分の求めている建築表現の実現を目指しながら、訴求力のある「かわいい」プレゼンをしているのかもしれない。そうしているならば、非常にしたたかである。

 こう考えると、原さんが「デザインのデザイン」に書いていた言葉が思い出される。「欲望のエデュケーション」。ヨーロッパでは、このようなプレゼンは求められない。このようなプレゼンが出てくるのは日本に特殊なことだろう。日本の潜在的クライアントの欲望からこの「かわいい」表現が生まれてきたと思う。ヨーロッパでは、plan, elevation, section, perspectiveで十分であるように思う。ドイツやスイスのコンペ雑誌ではこのような表現を目にしたことがない。

 建築で食っていくためには、このようなしたたかさがある程度求められる。日本では、この求められるしたたかさの程度が高い気がする。

2009年1月2日金曜日

[AIDE-MEMOIRE] 学問論

 iPhoneのアプリにi文庫というのがある。日本の名作が読み放題で350円。場所も取らないし、手軽に読める。なにより、デザインと操作が本当の本に近いのがいい。身体的。レイアウトは縦書きだし、ページをめくるのも画面においた指をスライドさせるので本物の本を読んでいる感覚に近い。
 内容も、『「いき」の構造』などの古典的名著から夏目漱石、芥川龍之介や太宰治などの有名著作まで網羅している。

 忘年会で「学問とはなにか」という話があったのを思い出し、読んだことのない『学問のすすめ』を読んでいる。3年ほど前、シェリングの『学問論』は読んだ。あまり記憶が定かではないけれど、細分化された学問体系を哲学を中心に統合するべきであると主張している本だったように思う。現在の日本では、シェリングの主張とは異なる状況になっている。大学では、隣の学科はまるで外国のようである。土木と建築に至っては、同じモノをさす言葉が違っていたりする。また、同じ言葉でも異なるものを示す場合もある。意思疎通を図るためにはまず言葉を統一することから始めないといけないだろう。英語やドイツ語にはそんなことはない。日本特有の状況である。少し話がそれてしまった。。
 社会の価値観が不安定になっていたり、既存のパラダイムが新しいパラダイムに置き換わろうとしているときに、このような学問に関する本が出る傾向があるように思う。それは、今後人間はどのように生きていうべきかという問いと何をどのように学んでいくべきかという問いはほとんど同義だからだろう。そう考えると、福沢諭吉が学問についてどう考えていたかを今勉強するのはいいかもしれない。
 個人的には、学問は本質を追究するもの、真理を探究するものだと思う。だから、実学でないものも学問。私は理系だが、理系にいるとこのような考えを持っている人は意外に少ない。というか皆無に近い。そのような人たちは、その研究がどのように社会に役に立つのか目に見える形で示さないと納得しない。単純な興味や好奇心が学問の根底にあるはず。そうしないと、長い人生学び続けていくことはできない。個人的には、生きる限りは考え続けていきたい。

 学問のすすめ読み終わったら、またレビュー書きたいと思います。

2009年1月1日木曜日

Frohes neues Jahr!

 明けましておめでとうございます。昨年、スイスから帰国して早くも一年が過ぎようとしている。昨年は、周りにあるチャンスをとりあえず見過ごすまいと、色んなことに首を突っ込んで、とにかくやってみることをコンセプトに頑張ってきました。が、結果に恵まれなかった一年でも合ったと思います。

2008年にやったこと、
・コンペ(実施コンペ1,アイデアコンペ4)
・A事務所へのインターン(一ヶ月、住み込み)
・翻訳の仕事(共訳者として、継続中。歩道橋デザインの本、年内出版予定)
・風景学校への参加(Workshop、in四国)
・白川郷へ旅行、岐阜・長野の建築巡り
・秋吉台へ旅行、山口県の建築巡り
・出雲大社へ研究室旅行
・景観設計プロジェクト
・読書:20冊(小説、雑誌以外)
・ドイツ語学校に通う(半年間)

 今年は、結果にこだわって頑張って行きたいと思います。昨年は、あまり本を読めなかったので、今年はたくさん本を読みたい。日々勉強不足を実感しているので。映画もたくさんみたいと思います。膨大なインプットがないと、いいアウトプットは生まれない。

 今年も宜しくお願いします。