2009年11月28日土曜日

[AIDE-MEMOIRE] Dubai Shock ドバイ・ショック

 昨日、一ドル=84円台と数十年ぶりの円高になった。ワインや宝石、海外旅行チケットなど輸入関連品が安くなったと言って、喜んでいる場合ではない。
 ドルとユーロの信用が下がったために、円の信用が相対的に上がった(ように見える)結果、円高になっているのが現状である。

 ドバイの政府系金融機関ドバイ・ワールドが約5兆円以上の借金を、「今返せないから、ちょっと待ってくれ。」という、モラトリアムを要請したのである。投機的なリスクが高まり、ドバイにかなりのお金をつっこんでいた欧州系金融機関やアメリカ系金融機関の株価は軒並み下がった。日本でも、ドバイに手を出していた大林組や大成建設がかなりのリスクを抱えたことになる。

 持続可能な発展という言葉を聞くようになって久しいけれども、ドバイはその言葉に耳を貸さずに急成長を続けてきた。世界中の余剰資金がつぎ込まれた結果、リーマンショック以後も不動産バブルが続いていた。

 急成長を続けている社会においては、アグレッシブなデザインが求められる。日本の高度成長期にポストモダンがもてはやされたように、ドバイに立つ建築もプロが思考を積み重ねた結果生み出された造形とは思えないデザインがたまに見受けられるように思える。確かに、インテリアはラグジュアリーでハイセンスな空間になっているかもしれないけれども。都市は人間の欲望の所産だというのが持論だけれども、ここまで突っ走った都市は珍しい。

 現代の金融リスクにはタイムラグがある。クレジットカードのようなものだ。ものを買ってから銀行から引き落とされるまでの間、「信用」がお金の代わりとなっている。しかし、残高がなければ売った店にお金が入らない。そのお金が回収できなければ、そのお店はただでその商品を売ったことになってしまう。
 時限爆弾のようなものである。リーマンショックの時も、いろんな経済コンサルタントはここまでの結果を予想できなかった。今も、ゴールドマンサックスをはじめいろんなコンサルタントが予想を発表しているけれども、どうも信用できないのは、僕が穿った見方をしているからだろうか。

 

2009年11月26日木曜日

[BOOK REVIEW] 見る庭と触れる庭_藤井英二郎

 『見る庭と触れる庭 日本人の緑地観』 藤井英二郎 1995

 造園で有名な千葉大の教授である藤井先生の著書。

 面白かったのは、後半の実験による考察部分。植物の色や樹形、木々の配置感覚などは人間にどのように認識されているのかを、眼球運動とアイマークレコーダーによる実験から明らかにしている。個人的に気になったり、研究に使えそうな知見がいくつかあった。
刈込が整形的にされている植栽は、注視点が少なく、自然樹形の植栽は、注視点が多い。
透かしが効いている杉や松などは幹の垂直性が際立つ。
など。

 日本人の緑地観という題なのに、西洋人との実験や比較がないのが残念だった。そのため、実験結果がユニバーサルなものなのか日本人固有のものなのかは明らかにされていない。

 以前、テレビでみたある番組を思い出した。日本人はものを見るときに主として主景と背景などの関係を読み解こうとする眼球運動をするのに対し、西洋人は主景となっている要素の特徴を見出そうとするそうである。
 これは、かなり大きな特徴だけれども、自然に対する感性は、その民族が暮らしてきた風土によってはぐくまれてきた気質に大きく影響する。そうなると、植栽の刈込の仕方や自然樹形に対する印象も民族によって異なるかもしれない。

【目次】
1.日本庭園に見る農の文化
 1.透かし植栽
 2.庭園に見る農の風景
 3.海の景に対する里の景
 4.ヤマの変容
2.庭園と建築
 1.自然の捉え方
 2.庭と窓辺の表情
 3.日本と韓国の農家住宅にみる連続性と相違点
 4.人と自然の接点
 5.韓国の宮闙にみる庭園の特徴
3.庭園の構成を解く
 1.植物の安らぎ
 2.植物の色としての緑
 3.花の色
 4.花見の高揚感
 5.樹形のイメージ
 6.刈り込みの意味
 7.配置の妙
 8.距離を作る
 9.視線の向きが持つ意味
4.庭園にみる心
 1.茶庭の心を読む
 2.庭園に見る人物像
 3.夢窓疎石の庭園観
5.庭園にみる社会
 1.庭に秘められた意味
 2.内と外の境
6.庭園を見直す
 1.農の技術のリバイバル
 2.環境の体感とうちなる自然
 3.心身と環境の対話


2009年11月23日月曜日

[BOOK REVIEW] 『日本の庭園』 森蘊

 このところ、庭園の研究をしていながら、基礎的な知識が欠落していたことに今更ながらに気づいた。
知識を補完・拡充し、新たな視点と知見を得るために、日本庭園に関する本を読み漁っている。研究ネタなので、詳細は書かないけれども、備忘録的に。

 その中でも、『日本の庭園』森蘊(1964)は名著である。

 本は二部構成になっており、前半は事例紹介。後半は、研究的視点から庭園の様式・意匠・技法・キーパーソン・庭づくりの書などをコンパクトにまとめている。筆者が建築出身なこともあり、視点がやや建築よりな印象を受けるが、一貫してデザイナー的視点で書いているので読み進めやすい。

【目次】
はじめの言葉
日本庭園の特色
日本庭園發達略史
現代の庭園とこれからの庭園
風景式庭園はどのようにして造られるか
庭園の作者日本庭園の風景的美観
日本庭園における時間的變化
露地の意匠と實用
結びの言葉
庭園実測図
あとがき


「庭園の意匠は面積によって違うが、それは石組の技法と同様に、主景と、副景と、客景とから成り立つことが多い。奥行きが深くなると、見越しといって遠景が欲しくなる。逆に幅が広くて奥行きが浅い時は主景が片隅にきて、その場合控えの景色が欲しくなるものである。」(本文抜粋)

上記のような書き方からも、庭園という風景の中で、構成論的に庭園全体を捉えていることが伺える。

日本論としてはウェットだが、研究に非常に役に立ちそうな箇所が多くあった。

2009年11月22日日曜日

[AIDE-MEMOIRE] Christo & Jeanne Claude



 
 これは、1997年にBaselの郊外にあるバイエラー美術館の近くで行われたCristo & Jeanne-Claudeによるアートインスタレーション。このアートは、もちろん木の生長を阻害しないような素材が使われ、時期も冬に行われた。
 日常では境界が曖昧に知覚される樹冠のボリュームが半透明の膜で包み込まれている。これにより、木の存在がインパクトを持って知覚される。また、膜と枝の隙間の空間が透けて見えて面白い。

 建築でも、覆ったり包んだりするというコンセプトのデザインは、歴史が長いように思う。先日、京都造形であった隈研吾の特別講義でも、隈さんがバックミンスター・フラーと絡めながら包むデザインに言及していた。数年前、大阪の中央公会堂であったドミニク・ぺローの特別講義のタイトルは、「would you like to wrap it?」だった。

 Cristo & Jaeane-Claudeの作品と彼らの志向性の関連を実証することはできない。しかし、クロノロジカルにこのような表現が異なる分野で出てきたのは興味深い。ものごとの因果関係が捉えにくくなった現代社会では、世界を秩序を持って上手く再構成することが難しくなった。それなら、いっそのこと「まるごと包んでしまえ」ということなのか。現象学では、これに似た行為をエポケー(カッコに入れる)というけれども、そのような行為にも似ている気がする。

 木々、ドイツの議事堂、海岸など様々なものを包んだり、大きい傘を立てまくったりした彼らは、そのスケールの大きさからかランドアートという呼び方で彼らのアートがカテゴライズされることが多い。しかし、彼ら自身はそのようなカテゴライズは嫌っていたらしい。リチャード・ロングのように自然のものを自然の中で再構成するのではなく、人為的な部分が主張しているところがランドアートとは少し異なるという気もする。

 このような大規模アートにかかる費用は、自らのドローイングやポストカードなどの売却益によって賄っていたらしい。
 一回、ドローイングを生で見たことがある。包まれた木々が、青の鉛筆のみで描かれていた。そのときは、彼らがドローイングという表現手法を使い、自分たちの作品を再生産している事実に驚いた記憶がある。しかし、それは再生産ではなく、次の表現をするために描かれたものだとは知らなかった。

 先日、Jeanne-Claudeの訃報を知った。

 DVDと画像を見たことがあるだけで、彼らの作品を直接体験したことはない。
現在進行中のプロジェクトは、最後までやりきるそうだが、それがラストチャンスかもしれない。来年の春は、アメリカに行こうか。