2008年10月22日水曜日

[AIDE-MEMOIRE] 研究

 日本人が4人ノーベル賞を受賞したのは記憶に新しい。ほぼ全員が海外に研究の場所を求めたのは置いておいて、一連のニュースの中で印象に残った言葉がある。化学賞を受賞した下村さんの言葉で、

「美しいから、これを取り出したいと思ったんです。ただ、それだけです。」

 この言葉は、研究者の現実社会との理想的なスタンスを如実に表している。基礎研究の研究者は、その研究がどのように実社会にインパクトを与えるかということには余り興味がない。だからこそ、のめり込んで新たな真実を発見することができる。どのように役立つかばかり考えていたら本質に迫れない。そういえば、「一見無駄に思える研究をどれだけ国が支えることができるか、これがその国のクオリティをはかる一つの指標になる」と養老さんが本に書いていた。

 景観や建築の研究も、工学分野にあるとはいえ、基礎研究的な分野がある。うちの研究室は、最近の動向はおいておいて、基礎研究を行う研究室だと思う。だから、研究は、自分の興味があることにのめり込んでいけばいいと思う。先日恩師と研究の相談をする機会に恵まれたのだけれど、その時も先生は同じようなことを言っていた。

「自分が美しいと思う風景を、他人が納得するように上手く説明すれば、それでいい。社会がそれを求めるかは置いておいて、君の研究を理解してくれる人が必ず現れるから。」

 学生が求めるのは、こういう言葉だ。こういう言葉を発してくれる先生について行こうと思うものだ。

 修士論文で、自分が興味がある風景の本質に少しでも迫ることができればと思う。

2008年9月23日火曜日

[AIDE-MEMOIRE] 場所

 駅に関するコンペをしている。そのために、今まで行った駅の写真をまとめた。この写真を撮ってからもう9ヶ月も経つ。
 
 ヨーロッパの駅をいろいろ見たが、そういえばどこの駅でも音楽があった。クラシックを聞くと、歩く速さが自然に遅くなる。演奏者達は、自分たちで舞台を見つけ、観客は自分たちで観客席を見つける。

 どんな場所でも、その場所を楽しもうとする人が集まれば、そこは良い場所になる。白くてフラットな空間ではこのような場所は生まれないだろう。お洒落すぎるものもよくない。気を張ってしまう。建築はインテリアデザインではない。少し無骨な感じの方がいい。本当に感動する空間は、「お洒落な空間」ではない。

 本当に感動できる場所、人間の様々な行動を許容することが出来る空間をいつかつくりたいと思う。
 
 

2008年9月11日木曜日

Zen life

 ここ二日は、午前中は語学、午後は研究室に行き研究していました。修士論文は禅宗寺院に関する研究なんだけれど、読んだ文献に面白い記述があった。禅者の生き方についての記述。共感するところがあった。

 「一般的に言って禅者の一生を大別すれば、三つの過程がある。第一の過程は、自己の心の本質を徹底的に追及するためにその生命をかける修行の時期。己事究明の時期。第二は、心の本質が明らかになって、古人の心境と同一線上に立つことによって師に許され一応の修業を終えて、山にかくれ、あるいは市井に隠れながら法を体得した自己の体験を純熟さすための閉じられた生活の時期。これを聖体長養(しょうたいちょうよう)。第三は、時機至って人のすすめに随ってやむなく社会の表面に出て多くの人々の苦悩を救うための大衆に開かれた生活。これを入鄽垂手とも為人度生(いにんどしょう)ともいう。」

 自分に投影してみる。今は、まだ己事究明の時期。でも、命をかけるほどの修行ができているかといえば、疑問がある。


 

2008年9月9日火曜日

[ARCHITECTURE REVIEW] Hotarumachi by Kengo Kuma


 昨日は、人に会いに大阪まで。その後、最近竣工した中之島にあるほたるまちへ。
中之島は、京阪の延長で至るところで工事が行われていた。

 
 ほたるまちは、阪大病院跡地の再開発で、隈研吾が朝日放送新社屋、竹中がレジデンスとオフィス、音楽ホール、ショッピングなどを設計。
 目的は、朝日放送新社屋だった。ボリュームの構成は面白かったけれど、川との連続性はあまりなく、敷地の良さをあまり生かし切れていない印象。もっと川に対してセットバックしたらいいのにと思いつつ、所々の条件の中でうまく負けた結果がこうなんだろうとか考えながらぶらぶら。ファサードは、二つ部分から構成。
 一つは、
東雲キャナルコートを彷彿とさせるデザイン。水平連続窓がスリットのようにボリュームに巻き付いて配置されている。

 

 もう一つは、LotusHouseに似た市松模様。LotusHouseは個人的に好きな作品だけど、この新社屋は、少し微妙だった。市松模様がそれだけでファサードを構成しているのではなく、完全に飾りになっていた。














 
 ほたるまちの敷地内にあるプラザでの水の使い方が面白かった。水深はほぼゼロ。微妙に傾斜がかかっていて、水が流れている。ベンチのデザインもかっこよかった。



 

2008年9月3日水曜日

[INFO] Kengo Kuma× Takeshi Yoro

 個人的にとても気になる二人の対談。

 隈研吾×養老孟司
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080820/168349/?P=1

 隈さんは、土木的・経済的な考えをためらいなく言うという点でとても面白い。
 建築自体も好きな作品が多い。

 養老さんは、好きな批評家の一人。小林秀雄、立花隆、養老孟司の3人は一番気になる作家。

 
 aide-memorieらしくこんな記事にしてみました。
 

2008年8月25日月曜日

[BOOK REVIEW]『デザインのデザイン』原研哉 『脳を鍛える』立花隆

(日本語は下段にあります。)




I enjoyed reading beforenoon.

I've read through "design of design" written by Kenya Hara who is one of the most famous graphic designer in Japan. I had left a few pages of it.
The concept of "Education of consumer appetite" in this book looks really interesting. He said that this was the most important concept to create high-quality products. Products including tiny goods, houses and flats result from exhaustive marketing researches. Properly, products which are sold in some country are the reflection of national preference. That is, quality of product design in some country corresponds to national sensibility.
I thought that good design needed a kind of background to be accepted.
To examine the value of landscape needs it as good design does.

"Mountain is not a landscape of mountain only if you have a sensibility of enjoying it."

My professer (I really respect him, in Japanese we call "ONSHI 恩師") said this.
These concepts have a similality, I thought. Anyway this book is worth reading.


Second book is "Tuning up your brain.(脳を鍛える。)"written by Takashi Tachibana who is called "Japanese intelligence".
Actually I read this book five years ago. But, I thought that reading books again helps discoverying myself. Human is changing every moment. I'm not what I was.
I chose some chapteres and read them. These chapters are ""About "The Evening With Monsieur Teste" written by Paul Valéry"", "you have to be absent from university classes.", "education is liberal-arts.", "literacy of science and technology."...and so on.
He said in this book that people often experienced of drastic paradigm shift of knowledge when they were 20-24 years old. I haven't experienced it. I haven't been able to proceed the integration of knowledge systematically. I have to do it...


Afternoon, I went to labo.

It has been about 7 months since I came back to Japan. I found that I was losing my skill of speaking English when I asked Swiss hotel receptionist some questions. I helped my colleagues who is planning Europe tour. I'm not sure it was helpful or not.
I keep myself reading and listening English. But speaking skill is really easy to become weak.


After I got home, I was doing typological study for architectural competition. Deadline of this competiton is around here. Moreover, I have to proceed my master thesis.


Things to do are piling up.



 午前中は、読書。

 最後の方だけ少し残っていた『デザインのデザイン』(原研哉)を読み終える。
「欲望のエデュケーション」について書いていた部分が面白かった。商品(プロダクトから不動産まで)というのは、綿密なマーケティンググリサーチの所産である。つまり、その国で発売されている商品は、消費者の嗜好性が反映されていることになる。ということは、現在の商品群のデザインは、その国のセンスを反映していると言っても過言ではない。「幼稚なデザインが蔓延している」というのは、「大衆はセンスがない」と言っているのと同義である。豊かな生活を実現するには、優れたデザインは不可欠である。良いデザインが評価されるには社会的な土壌が必要なのだ。そのためには、まず「欲望のエデュケーション」を行う必要がある、というのが原さんの主張だ。これには、全く同感で、景観についても同じことが言える。その風景の見方を知らないと、その風景の価値はわからない。「山は、山としてみないと山ではない。by樋口忠彦」
 あと、頭に残っている言葉達は、
「町は、おこされるものではない。おこされた町は無惨である。」
「…何かに反対するメッセージを作ることに僕は興味がない。デザインとは、何かを計画していく局面で機能するものであるからだ。」
などなど。総じて面白い本だった。

 2冊目。『脳を鍛える』(立花隆)。前回読んだのは、もう5年も前になる。読み返してみると発見も多い。
 最近、物忘れがひどくなってきている気がして、ふと手にとって読み出した。目次から気になった部分をパラパラと読む。この人の文章は、面白いしわかりやすい。ポール・ヴァレリーの「テスト氏」について書かれた部分、「授業はさぼるためにある」「教養とは、リベラル・アーツ」「サイエンスとテクノロジーのリテラシー」の章を読む。
 立花さんによると、20−24歳で知的パラダイムの劇的転換が来るらしい。ヴァレリーもそうであったらしい。自分には、まだ来ていないように思われる。下手したら、高校ぐらいから劇的なパラダイムの変換を体験した記憶がない。まだ、そのレベルに達していないのか。知識のインテグレーションが進んでいない気がする。


 昼ご飯を食べて研究室。
 
 スイスから帰国して早7ヶ月。早くも英語のスキルが落ちているようだ。研究室の後輩がヨーロッパに旅行するということで、変わりに電話をかけたのだが、英語がなかなか出てこなくてショックだった。
 日頃から、英文には触れるようにしているけど、やはり聞く・読むのと話すのでは、大分違いがある。話す訓練をもっとしないと。
 ある課題をしようとするが、旅行の話が気になって、話こんでしまい、進まず。

 帰ってきて、コンペのスタディをして、今に至る。果たして、コンペ間に合うか。というか、ゼミも直近であるから、研究もしないといけないし。ドイツ語の試験まで三ヶ月切ったし。

 やることは、山積している。